2011年07月14日

奏者の心得

楽器だけの事ではないが、やりはじめはよく伸びるのだが成長曲線というものは段々緩やかになる。
一定の所から先は、自分の中だけで大きな事が・・・他者からはその違いが理解しにくい事が・・・壁となって立ちはだかり、それをクリアするのも時には膨大な労力を使う。
そういうものの積み重ねは、やがて深みというものとして表現されると信じているのだが・・・。

よく言われる言葉に「本番では練習の10%しか出せない」というのがある。
100の練習だと本番では10くらいしか出せないので、100を出したければ1000の練習をしましょうとなる。
最近思うのだが、その10%を出来るだけ大きくする事がこれからは必要なのではないか。

時間的な制約、物理的な制約、個人差はあれど色々な諸事情があり、練習は質量ともに無限大に大きくしていける訳ではないからだ。
また練習はあくまでも奏者としての「修練」のひとつにすぎない。
人格形成、経験、人として生きていく中で色々な事が修練であり、奏者としての幅や奥行きに繋がっていくと信じている。

どんなジャンルでもそうだが、プロフェショッナルを突き詰めれば最後は精神状態の話になる。
10%を20%に、30%にしようとすると精神的により高い次元で安定していなければならない。
エゴが出ると必ず失敗する事は経験を通して本当に痛感している。

真っ白の状態で、シタールを演奏するのは自分ではなく、自分はあくまで媒体である。
心と心の外側の世界をある感覚でリンクさせ自分の意識はリスナーとして音楽に期待し、自分の体が演奏している事は意識の外に置く。
聴きたい音楽が間近で聴こえてくる。そういう状態が私の理想である。

心技体・・・わずか3文字のこの言葉には限りなく深い意味が込められているなと改めて思う。
posted by J at 13:04| Comment(3) | コラム

2011年07月08日

違和感

ここの所ずっとテレビやラジオで菅総理が凄く叩かれている。
自国の首相に対するリスペクトなど全く無し。とにかく何をしても叩かれているように見える。
まあ菅総理に限らず最近メディアはずっと、首相を時には揚げ足取りにしか見えない内容で叩いている気がするのだが。

すごく違和感を覚える。
私を含め私のまわりでは菅総理を叩いている人はいない。むしろしっかり頑張って頂きたいと言う人ばかりである。
菅総理はエネルギー政策の方向転換を目指しておられるように見えるのだが、原子力をやめたくない人達がそれを良く思っていない・・・辺りから今の菅パッシングに繋がっているのではないか?と勘ぐってしまう程、菅総理を叩く声はメディアからだけである。

個人的にも原子力はもう繋ぎとして放棄の方向で、出来るだけはやく次のエネルギー政策に進むべきだと思う。
原発実用化後約半世紀間に3回も大きな事故を起こすのは、大きすぎるリスクを考えると少し厳しいのでないだろうか。
菅総理が行なった浜岡原発の停止要請は嬉しかったのだが、それを良く思わない人もいたようで、思いつきだの代替策無き無計画要請だの言われていたが、代替策を用意してから止めましょう、では恐らくずっと止まらなかったと思う。

色々ネガティヴキャンペーンを展開されている菅首相は個々の理想と比較されて批判されているにすぎない。
辞めろと言われているが、では次は誰が?次の首相なら良くなる?今までそれを繰り返して来ているのに?

思うに日本の政党政治は限界に来ているのではないだろうか。
私達は政治家や自治体のトップは選ぶ事は出来るが直接的に首相を選ぶ事は出来ない。逆に言うと首相を自分達で間接的にしか選んでいないから無責任に好き放題言っているという側面はないだろうか。

・・・大統領制は如何だろうか。

政治の素人である私はずっとそう思っている。この国は立法と行政がうまく分立しているように見えないのだ。
posted by J at 22:06| Comment(4) | コラム